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【Today’s Column】本場インドからアーユルヴェーダを丁寧に トリグナさんについて

【ヨーガ哲学の教室② 闇から光へ 3つのグナ 〜トリグナさんについて〜】

アーユルヴェーダでもヨーガでもお馴染みの

・サットヴァ
・ラジャス
・タマス

これらをグナといい、3つのグナということで、
「トリグナさん」
と呼びます。 ※トリ=3

一旦は心の性質として
覚えてしまうと良いでしょう。

「サットヴァな食べ物」(例えばアスパラガス)
とか言ったりもしますが、人においては「心の状態」として覚えてOKです。

心の状態が

サットヴァか?
ラジャスか?
タマスか?

グナによって
その人の印象は大きく異なってきます。

どこかのヨーガ教室では

「あの人はサットヴァだなぁ」
「あの人最近ちょっとタマス。心配だわ」

という会話がなされているかもしれません。
(私のこと?という人がいたらコメントください)

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さて。

トリグナさんとは心の性質。

どのような性質かというと、

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サットヴァ:
迷いがない、ブレない状態。知識を持ち、光に照らされている状態。

ラジャス:
行動する、変化しようとする状態。

タマス:
知識がなく暗闇にのまれ、進むべき道がわからない、外部からの影響を受けやすい状態。
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タマス=ネガティヴな心だとすると
ラジャス=ポジティブな心(そういう側面もあると言うこと。方便として捉えてみてください)

そして

サットヴァ=ポジティブもネガティヴも超越した心

です。

同じ経験をしても、
タマスの人はネガティヴに捉えて
ラジャスの人は無理やりポジティブに考えたり、もしかすると怒りだすかもしれません。

しかし、サットヴァの人は物事を中立的に見れるので、良い悪いの判断をしないのです。

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例えば、
先日、ヨガ友達と一緒にスタバで話をしていたのですが、とあるお客さんが僕たちの後ろでラテをブチまけて、その友達のカバンとジャケットがラテまみれになりました。

ここで、タマスの人は
「なんてことだ・・・お気に入りのジャケットとカバンが・・なんて最悪の日なんだ。許せない」

ラジャスの人は
「お前何してくれてるんだ!気をつけろ!クリーニング代出せ」

となるかもしれません。

でも、
その友達の反応は

「ああぁ。・・・(ふう。)カバンとジャケットがラテまみれだ。拭き取ろう。」

といった感じでした。

ぶちまけた人は慌ててましたが、友達は淡々とラテを拭き拭き。

ぶちまけた人はキョトン。

その数日後、友達に話を聞くと

「ラテのおかげで“リナビス”っていうクリーニング屋知ることができたよ。HP見るとすごく面白くて、今度冬物のコート類をまとめてクリーニングに出す予定。世の中には面白いクリーニング屋があるんだなぁ」

って。

ポジでもネガでもなく
ただ状況を受け止め、そこから進捗していってるようでした。

おそらく、その友達は物事をポジにもネガにも捉えず、真ん中を見る訓練をしてるんだと思います。

経験、体験を通して、
「如何に進捗するか?」
を考えている。

そういう心がサットヴァな心と言えます。
その友達はサットヴァを目指しているのでしょう。

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さて。

ヨーガの教えは
暗闇から如何に光に到達するのか?
それを説いています。

つまり、
タマスからサットヴァへの道です。

暗闇とはタマスです。
そして変化の象徴であるラジャスを取り込み、光であるサットヴァへと向かいます。

サットヴァは「知識」の象徴でもあるので、経験から「気づき」をえていく行為はサットヴァへの道。

気づきを得ると、
「わかったー」と目の前がパーっと明るくなる感じがすると思いますが、そういう感覚。

アルキメデスさんが風呂に入った時、

「風呂の水が上昇した分の体積は、
自分の体の水中に入った部分の体積に等しい」

ということがわかって

“Eureka! Eureka!”

と2回叫んだと言われてますが、
これは完全にサットヴァな瞬間です。

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ヨーガとは気づきの道です。

気づきを深め、サットヴァの光に照らされた時、自分自身が本当に進むべき道が見えてきます。

まずは何でも構いません。
普段意識を向けていないところに意識を向けてみる。

そういう些細なことへの意識が

光(サットヴァ)への道なのです。

井浦