[Emi’s Full moon papers] 2018.8 「触れること」への向き合い方

メルタサリは、「家族の不調を治したい」という気持ちで悶々としていた時に、アーユルヴェーダの先生とバリ島の現役ホテルセラピストの元で学ぶところから始まりました。心にいつもあるのは、バリ島のカラダを体・心・魂と捉え、「手で心に触れる」「愛を与える」というバリの施術です。

私にとって、「触れる。マッサージをする」とはどういうことなのか、を改めて考えてみました。
(日本ではオイルマッサージを「トリートメント」や「セラピー」と呼びますが、ここではシンプルにマッサージと呼びます)


 

[少し長くなりますが、まず「触れる」に至るまでの経緯を説明させていただきます。]

そもそもこの仕事を始めるきっかけは、19歳にさか上る。

高校生のときに流行りのスノーボードをへたっぴなくせに頑張って、お尻が腫れるほどたくさん転んで、腰痛になってしまった。大学生のときに、いつもだらだらして痛がっていたわたしを、友人がヨガに連れていってくれた。

そのときのヨガは、おじいさんが座禅を組んでるくらいのイメージしかなくって、正直なところ全く興味がなかったのだけど、終わったらすっかり気持ちよくなり、「やります!」と、若者らしく素直に感化されていた。

若かったので、筋肉のない体はどんどん変化して腰痛はすぐに治り、どこも悪いところはなくなった。なのに、なぜか気持ちがモヤモヤして落ち着かなかった。

わたしにとってヨガは、心の中の背を向けていた思いとひとつひとつ向き合い、「人間力」を作るためのものだった。自分の深いところにある開かずの扉を開けていく連続のような、痛みを伴うものだった。

10代でたくさんため込んだ心の毒を、20代でヨガを通して出した。

いつもやる気がなくて、集中力がなく、心の中と行動がバラバラな少女は、自分の気持ちをまっすぐに見て、やりたいことに向けてがんばる楽しさを知った。もちろんそう簡単なことではないのだけど、それは味わったことのない、幸せな気持ちだった。

気がつけば、体も心も安定した健康な状態になっていた。

30代になって気がついたのは、周りに『なんとなく調子が悪い』人がいることだった。疲れやストレスなどを溜め込んで体を壊してヨガに入ってくる同世代の子たち。自分が20代の時にヨガをしていなければそうなったであろうことは明らかだった。

「ヨガをやれば元気になるし、病気も治るのに」という気持ちと、自分で健康を作っていくのはラクではないことも感じていた。

そんな時に、母が、会うたびにいつもわたしにものすごい剣幕で不満をぶつけてくるようになった。私たちを1人で育てるために、体に鞭打って数十年働いてきた母が、違う人になってしまったようだった。

ヨガを教えようとしたら、「そんなことできない!」と言われてしまった。

「ヨガなんてできない。というほど体も気持ちも余裕がないこともあるんだ・・・」と愕然とした。

その頃、夫も腰痛で苦しんでいたこともあって、「よし!私が家族のトレーナーになる!」と決意した。

 

***

 

[触れることの感動。そして開店へ。]

 

仕事で体を壊してアーユルヴェーダサロンに通っていた友人の紹介で、アーユルヴェーダ先生に手ほどきを受けた。その愛のこもった手ほどきを受けた時に、はじめて体験する『至福』に包まれ、「これだ!」と思った。

日本での講座を終えて、バリ島へ行き、アーユルヴェーダの治療法(パンチャカルマ)を受けた。

その時にマッサージ中に涙が止まらないという不思議な体験をした。

「心の奥から震えるように、愛に包まれる。こんなマッサージがあるんだ」。

この衝撃が「触れることで人を深く癒すことができる」と、マッサージというもの概念を大きく変えた。

 

 

バリのスパでのトレーニングを終えて、日本に帰り、自宅でサロンを開店。
お金の準備、経験も、仲間や人脈もゼロ。でも小さく、どんどん始まった。アーユルヴェーダ先生、家族、たくさんの人が、助け協力してくれた。

とはいえ、お店を営むってそう簡単じゃない。

予約がほとんどない月もたくさんあった。

切り替えて、家族友人で毎日練習。バリ島での研修。また練習。

家族はどんどん元気になっていったものの、お仕事としては胸をはれず、気持ちを前向きに保つのはしんどかった。

 

あるとき、お仕事がヒマで悶々としていた時にふと気がついた。

「好きな仕事をする」ということは、ヨガ(内観)なのだと。

 

未熟な自分と、どこか深いところの自分をつないでいく作業なのだ。

少しずつの自分の成長とともに、お店も展開していく。

 

ひとつ扉が開けば、どんどん開いていく。

良い循環が起こり、やっと少しずつ仕事のペースの塩梅もつかめてきたような気がする。

 

遠回りなようだけど、「私って自分が納得しないと、進めないんだよなぁ」と

どうしても自分でやってみたかった、その子供のような頑固さを笑う。

 

人の体は宇宙ともいわれる。奥の深い世界。

ましてや人の手というのは、そのひととなり、想いがぜーんぶ伝わってしまう。だからこそ自分の心の扉をどれだけ開けて、酸いも甘いも経験して、そのぶんどれだけ人の気持ちに添えるようになるかなのかなぁ、と思う。

お客様は見ず知らずの人の前で裸になるのだから、セラピストという職業は相当人間力が必要とされるんじゃないか・・・コンディションが良いことはもちろん、どれだけ余分なものを落としながら、純粋にまっさらに人に触れることができるのか。

これって、すごくやりがいのあることだなぁ。と。少し圧倒されつつ、でもドキドキワクワクしつつ、「触れる」ことに今日も向き合う。

日々成長。がんばります。

 


長文をお読みくださりありがとうございました。