プロフィール詳細

なぜこの仕事をしているか

子供のころ、家族にマッサージをすることが好きでした。母の日、父の日に渡すものはいつも「肩たたき券」。父に喜ばれるのが嬉しかったことを覚えています。歌を発表したり、音楽に合わせて踊るリトミックが大好きな幼児でした。

理由1 10代の不調

10歳の頃に、突然の親の離婚、母の家出、引っ越し&転校がありました。母が突然に家を出て行ったとき、一人家に残された私は、急に体が固まってしまいました。ほんの数時間のことだったと思いますが、その後から、筋肉が過度に緊張したり、逆に力が入らなくなり、不定愁訴が始まりました。10代で慢性腰痛や頭痛、生理痛、冷え性、夜型生活、を経験。体はいつも思うように動かずに、体と心がバラバラで鎖のように不自由に感じていました。

理由2 ヨガの効果がすごかった

スノーボードによる腰痛をきっかけにヨガを始めました。長年の運動嫌いから人生初の筋肉がついて、楽に動けるようになった喜びは大きかったです。体を動かすと気持ちもスッキリすることを知ったのが19歳の時です。また、運動が苦手なのは、運動神経が悪いのではなく、体が単に脳が経験をしていないだけということを知り希望を感じました。

理由3 母が痛みを抱えたこと

美容師の母が、長年の過労から肩こりや坐骨神経痛などの体の痛みを訴えました。この時に、ヨガを提案するも、母は痛みにより余裕や元気がなく、まずは休息と痛みをとることを学びたいとアーユルヴェーダの施術を学ぶきっかけとなりました。

理由4 親戚の急死

両親は離婚しましたが、伯父叔母たちが幼少期からかわいがってくれました。サロンオープンまもない頃、父母のような愛する伯父叔母が、病気で急死。その人たちの病気と向き合う中、自分にできる限界や意味を考えました。それから、人が一時的なその場しのぎでなく、未病のうちに健康になる習慣を届けることを、生涯続けたいと思うようになりました。

 

もっと知りたい方へ 自己紹介

生い立ち

80年代。高度経済成長の時代のサラリーマンだった父、美容師の母との間に誕生。幼少期は父の祖父母とカエルの声の響く田圃風景の中で育ちました。跡取り娘であった祖母が、しょっちゅう癇癪をおこして茶碗を投げる!という、環境で育ちました。

家出事件。体が動かない

牛やにわとりに囲まれて、祖父母、両親、弟とのんびり育っていた9歳の頃、祖母の癇癪と母の家出というひょんなことから体が固まってしまう体験をしました。その後、母と弟と家を出ます。それから、これまでと同じように人前に出ようとしたときに、体が勝手に緊張してしまうようになりました。両親は離婚騒動で毎晩口論。日々身体の緊張は高まりつつも、自分の体の変化に戸惑いながらも誰にも相談できずに、いつも力が出ない体をもてあましたまま10代を過ごしました。

筋力のない、運動苦手タイプ

10代は緊張しやすい体から、今度は逆に集中力や体力がなく、朝も起きられずいつも遅刻。体育の先生には、バレーボールの上からのサーブを止められるくらい筋肉がないし、健康診断の体力チェックでは背中をつる始末(笑)。友人の勧めでのスノーボードでも転びすぎて、そのまま腰痛に。とにかく運動は苦手でした。後々に、この時のこの過度な緊張が続くことで、無気力や気だるさが出ることも神経的な影響ということを知り、救われる思いがしました。

アジアをめぐる旅とヨガとの出会い

筋力がなさすぎて腰痛になっていたことをきっかけに19歳でヨガを始めました。ヨガであっという間に元気になり、大学時代は、学生時代で一番で勉強しました。集中力も体力も溢れて、やりたいことができるようになったことが嬉しくて、大学生活に入り、怠け者から勉強が好きになりました。キャンパスには外国人留学生も多く、多様な価値観に触れた20代でした。

旅や、ヨガなどで、自分を客観的に見ることを学んだもの大学生の頃でした。

この学生のときに、ヨガ先生から「人には、自分を生かし、人の役に立つ天職というものが必ずある」。という考えに出会います。

ラオスにて

体と心のことを考え始めた、2つのターニングポイント

1、日本語教師の夢破れ。旅行会社での自律神経失調。

2、交通事故 生身で車にはねられ車椅子生活に。

母の不調

母は一人で私たち子どもを育て上げてくれました。私が結婚して家を出た頃、母は人が変わったように私に怒鳴ってくるようになりました。長年の美容師での重労働により、母の体はボロボロで心身ともにバランスを崩していました。この時から、母のためにアーユルヴェーダの施術を学び始めました。

(母。今はすっかりヨガとマッサージで元気です)

 

技術のあゆみ

アーユルヴェーダとの出会い

友人の勧めで、アーユルヴェーダの先生に弟子入りしました。

その先生に初めてアーユルヴェーダの施術を教わった日、体を突き抜ける『幸福感』を初めて味わいました。

この時、ついにわたしの好きなことを見つけた。と思いました。

 

 

  

バリ島での出会い

学生の時からの夢、留学。学生時代からの夢をマッサージで叶えようと、バリ島へ。

バリのホテルのおもてなしと、夢のようなスパルームやセラピストの笑顔がメルタサリの目指すところとなります。

その後ご縁をいただいて、バリ人のアーユルヴェーダセラピストや、5つ星スパセラピストから直接指導を受け、濃い緑の椰子の木や田園、バリ人の笑顔とユーモアの中で勉強しました。

この時のバリ人セラピストたちのおおらかな世界観と、神々とともにあるバリの人の不思議な施術の魅力も、私を魅了しました。

2014年メルタサリを開業

 

米国マッサージセラピーとの出会い

国際スパライセンスを取得したのち、東京で米国のマッサージセラピーを指導されている先生と出会い、解剖学に基づくスウェディッシュマッサージ、ディープティシューマッサージを習得。先生はNYでのトップセラピストで、今も現役で施術も続けていらっしゃいます。とても奥深い施術のため、今でもブラッシュアップを定期的にさせていただいています。

また瞑想家である先生には、人としての考え方や、とらわれない心の大切さを教えていただいています。会うだけで元気になる、包まれるような愛情あふれるお人柄と、こころをも溶かす確かな技術は、わたしの生涯の目標です。

 

 

大人の体を解放する、ボディワークとの出会い

伯父の死をきっかけに未病のうちから対策が必要と感じヨガレッスンを教え始めました。

伝統的なヨガを15年実践していた後、体を自由にするトラウマケアや神経ケアに出会いました。
解剖学、運動学、ソマティックムーブメント、ポリヴェーガル理論といった、神経へのアプローチを学びました。

余分な緊張を手放し、赤ちゃんのように自由に動く。

これは、幼少期やヨガ生活でなぜどんどん心身ともに緊張した謎を解いてくれました。

この時から、解剖学や神経理論、さまざまなボディワークの要素を含むオリジナルメソッドが誕生します

誰にでもできて痛みがない、「より自由に、より楽に、より心地よく」「楽しみながら」がメルタサリのヨガのスタイルです。

アスリート向けのアプローチ

2024年にアメリカラグビー代表のリカバリーマッサージに、アシスタントとして参加させていただきました。

常に筋肉を酷使している選手のマッサージを限られた時間で行うトレーナーやセラピストの方の姿に感動し、

現在も、より質の高い施術を目指して勉強中です。