メルタサリというお店を始めてから、
一度だけオイルが買えなくて、お金の不安でいっぱいになってしまったときを除いて(笑)、
日々、「何をしようかな」「やりたい!」という思いを優先するようにしています。
個人店というのは、できることは小さなサイズではあるけれど、
自由に自分で生き方、働き方、向かう方向などを決めることができます。
だからこそ、「自分が何をしたいのか」を毎日更新していくことが大事だと思います。
9月の満月は、メルタサリ5年目に向けて、どういった方向へ行きたいのかを少し考えてみました。
2018年9月。
メルタサリではじめての、自然の中で特別なトリートメントをする「リトリート」を行なった。
このリトリートとは、退却や後退という意味の英語。 隠居、隠居所、隠れ家。 避難所という意味もある。
ほんのひととき日常から離れて、静かに自分と向き合う。そんな時間を指す。
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私がこの「リトリート」というものを体験したのは20歳の頃。
ヨガのポーズや呼吸法、瞑想などをするリトリートだった。
普通の大学生だった私は、実はそれほど興味なく、
「森の中でヨガするのか〜へ〜」といった軽い気持ちで参加してみた。
そうしたら、終わった後の心身があまりに爽快で、気持ちが素直で、世界が美しくって。
それからは毎年、年に2回ほど、気がつけば約15年の間、リトリートで深い心身のお掃除をすることが楽しみになった。
そして、2014年。バリ島での2週間のパンチャカルマ(アーユルヴェーダの浄化法)を受けた。
木々のざわめき、鳥たちのにぎやかな声がこだまするウブドでのトリートメント。
2週間もの間、セラピストさんに丁寧にオイルマッサージをしたり、
髪を洗ってもらったり、浣腸されたり(笑)
まるで赤ちゃんのように、身も心も丁寧に扱ってもらった貴重な体験。
終わった時の、心が震え、魂が浄化されるような感動は今だによく覚えている。
その、生まれ変わったような気持ちで、メルタサリをオープンさせたのだった。
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忙しい毎日の生活で、時間に追われ、たくさんの役割や責任を果たしていると、
疲れやストレスなどで、自分の想いが見えなくなることもあるかもしれない。
誰かと休日を過ごしていても、なんだか心の中が、なんだかすーすーとむなしいようなときも、
もやもやとしっくりしていない日もあるかもしれない。
私も、
20代前半の頃は、若い頃によくある、
何か自分の中で行き詰っていたり、自分自身が好きになれなくてもやもやしたり、
社会への不安を感じて反抗心を感じたり、子どもの頃の傷や不安を抱えて歩き出せなかったり。
社会人になってからも、仕事への向き合い方や、仕事の効率を上げるために悩んだり、
人間関係の悩みや、何かこの仕事じゃないという違和感がぬぐえなかったり・・・
そんな大人になりたての葛藤の中で、大切な気づきをくれたのはいつもこのリトリートだった。
自分の気持ちを押し込めたり、折り合いをつけて、「オトナ」になるのではなく、
自分の本心をまっすぐに見つめて「コドモ」のようにまっさらになっていくような作業。
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自分の体をお掃除するということで、何が起きるかというと、
体が軽くて快調、気分がいい〜♪ということはもちろん、
自分の思考や心から少し距離を置くことができて、絡まった糸が解けるように溶けていく。
すると、日常ではなかなか気がつけない、心の深くにある「本心」「良心」のようなものに出会う。
それは、
自分の中で、本当に大切にしたいものに気づかせてくれる。
その気づきがあったときに、
人は不思議と感謝と喜びと優しさに包まれる。
それはまるで、生まれ変わったかのように。
日常に戻ったら、まただらしない自分に戻ってしまったりするのだけれど、
それでも、
私は、その自分と自分の出会いの瞬間。それ以上の幸せというのを知らない。
なんか謎が解けたようなスッキリ感で、
自分も周りも愛おしい気持ちに満たされる。
これがもしや、「愛」というものか・・・と思うのだ。
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効率ばかりが優先される現代だけれど、
そればかり追いかけていると
どんな人にも、「あれ?私は何やってたんだっけ?」と
ぽかんとしてしまうことがあると思う。
「忙しい」とは「心を亡くす」と書くけれど、
心が伴わずに行動している時の違和感は
少なからず自分にストレスを与えていると思う。
まるで車のブレーキを踏みながらアクセルをかけているように。
「心ない自分」のときって、実はかなりしんどい。
もしも、自分の大切な人がそう無意識に我慢しているとしたら、
とても切ないのではないか。
ココロとカラダの足並みを揃えること、
日常の中で知らず知らずに心に覆いかぶさる、ホコリをとることが、
ふと立ち止まり、自分を見つめ直すということなのだと思う。
そのホコリを取ってしまえば。
絡まった思考回路の糸を解いていけば、
自然に原動力は燃える。
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そして私は、
これまでのリトリートで自分の中から出てきた言葉。
自分でもまだよく理解できていない、
その数々の閃きのような言葉の意味を探しながら生きている。
今のところのいいなぁと思える方法は、
まずは自分が好きなことをして、今を楽しみつくすこと。
経営のことを考えると、やっぱりあんまり面白くない気持ちが出てくるから、
ここで思い切って、いったんお金のことは置いておいてしまおうかと思う。
長い目で見て、プラスになっていくように。
誠実に、地を固めたい。
「仕事が楽しい」、「素敵な方に会えて嬉しい」という
無謀だけれどそれだけでやってみようと思っている。
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人それぞれに、
その人らしい生き方、考え方があると思う。
メルタサリを通じて、
自分と出会うひとときを、
そのときに見える
その人にしか見えない、美しい景色を
見てほしい。
知ってほしい。
私が見せてもらったように。
それは本当に美しい。
これまでいただいたことへの感謝を込めて。
それが私の原動力。
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とかっこいいことをいっているけど、
またオイルが買えなくなったら、
アルバイトでもしようかな。
なんて、
自分でリスクや責任を持つことと、
自由に生きる楽しさを満喫し、
失敗しても笑い飛ばそう!と日々実験中。
長文をお読みくださりありがとうございました。