開いた扉の外は、再びの草の海と遠くに見える八ヶ岳だった。
昨秋にエミさんにいざなわれ訪れた、ここ佐久のリトリート。
今回春にまたプライベートで開催するとのことを耳にし、
迷わずすぐに一泊二日のエミさんとのリトリートを申し込んだのだった。
今回は、仕事に、子育てに、家事に、と毎日休む暇もないお母さんたちへ深い休息を、との意向で地元の森のようちえんちいろばさんと提携して、親子向けの森のリトリートが事前に開催されており、
その後にひっそりと行われた、大人向けのリトリートだった。
私には子どもがいないので、小さな子供を連れているお母さんなどはただただ眩しく、幸せそうにみえるけれど、実際は大変なのだろうと思う。
いろいろな状況の中の、いろいろな立場の人、
言い換えるとあらゆる人を対象にした医学が、アーユルヴェーダ
なのだとエミさんは言っていた。
病気の人を癒すことも、そして健康な人をより健康にしていくことも。
また、先月の私のように、決して病気でないのだけれど、バランスを崩してしまってもがいているような、そんな状態のひとも救ってくれるアーユルヴェーダという医療。
ううん、それは単にエミさんの人柄なのかもしれないし、そのどちらもなのかもしれない。
エミさんの中にあるものが、料理やアーユルヴェーダという窓口をとおして引き出され、そして私たちのもとへ、春の光のような明るさで届く。
.
今回のリトリートの目的は、完全に「避難」だった。
リトリートはまた、キリスト教の伝統においては「静修、黙想」を意味し、
日常生活を離れた静かな場所で、自分は誰か、何をしたいか、を問う精神的な
活動のことを指すという。
前回は、自分自身が疲れていることにも気付かず、
静寂の中に身を置いて、トリートメントを受けて身体を浄化をしてから初めて ああ、自分はこの状態を欲していたのだな、ということに気づいたのだった。
今回は、リトリートを必要としている自分自身の状態への自覚があった。
冬に溜まったKapha(カファ)が暖かい陽気で溶け出し、悪化しやすくなる春。
日中の眠気やからだの重さ、足のむくみや鼻づまり、そして鬱々とした気持ちを日常のくらしや食事で整えながら、
やっぱり根本的に今、身体をリフレッシュしないと苦しいな、という気持ちで日常の中にいた。
そして、怒涛の年度末をなんとか駆け抜け、春を迎えて、勢いよく刷新されていく周囲の環境の中で、このガヤガヤした中で完全にじぶんがじぶんを見失ってしまっていることを感じていた。
焦っていたし、自分に自信がなくなってしまっていた。
そして、自分の声が聞こえないくらいに、周囲の声の方が自分自身の中で大きくなってしまっており、自分にどう立ち戻っていいのか、今ほんとうにわからなくなってしまっていたのだった。
何かに覆われて、曇って目がみえない
ぼんやりとしてきちんと考えられない
忙しい日々が続くあまり、こころもからだも鈍ってしまったようなこの状態を
今回は冷静に自覚して、そしてそんな時に何が必要なのかを
客観的に理解できるようになったのは、この半年での自分の進歩だと思う。
欲していたのは、自然だった。
つながる為の大きな自然。
そして静寂と、
自分自身の声が聞こえる状態に身体を整えること。
前回の新月から一ヶ月、東京の生活の中で自分でできることは頑張ってみたのだけれど、
これ以上は無理、というところまできて
やはり専門家の、プロの助けが必要だった。
都会の喧騒やスピードから一旦避難して、
瞑想やヨーガで意識を常にクリアにしているセラピストさんに、
自分自身を取り戻す手伝いをして欲しかった。
日常の仕事や付き合いを一旦置いて、
すべてから離れてすごす時間が
必要だった。
Written by Saki Ikeda