メルタサリの始まり

メルタサリ誕生秘話
サポートコースができるまで
あるところに、とても忍耐力のない、少女がいました。
小さい頃から新しいことや苦手なことは、すぐにあきらめ、
一度家族で行ったパターゴルフは、小さい穴にゴルフボールが入らなくてクラブを芝に投げつけ、
またある時は、「本当に怒らない?」と物を悪気なく壊してしまって素直に謝ってくる弟に向かって、
怒らない!と約束したのに、あっけなく激怒し、姉という権限を振りかざしていました。
好きなことはご飯を食べていてもやる。嫌いなことは全くやらない。
人にウケるとエンドレスでやるような、調子に乗りやすい、おねぼうのねぼすけでした。
そのため、人には名前である『えみ』と『ねぼすけ』を合わせて、【えみすけ】と呼ばれていました。
(写真左から2番目)

そんなよく言えば自由奔放、率直に言えば傍若無人なえみすけは大人になり、好きにまっしぐらに、英語と日本語教師を学び、心理学をかじり、留学生と交流し学生時代を過ごしました。なぜだかわからないけれど、とにかく海外に行きたくて、日本語教師の職を探して東南アジアを旅していました。「だって、いろんな国で働けるかも」と、ふらふらと旅行中に日本語学校を訪ねました。好きな国を見つけて、ここで働きたいな。ついでに旅行もできるし楽しそうだな。という安易な考えだけでした。ところが、未経験で雇ってくれる学校など、世界中で探してもなくあえなく玉砕。あっさり諦めて、日本に帰りました。

その後、旅行が好きだから、という理由だけで、旅行会社に入社。多忙と薄給すぎて、旅行は売るだけで、全く行けずに数年がたった頃、あっけなく体を壊しました。その時に、流行りのスノーボードをやっていて腰痛になったことがきっかけではじめたヨガが、健康を取り戻す手助けをしてくれました。そのときに、ヨガは、ただのヘンテコポーズと、濃いインドの神様の神話や哲学ではなく、体の必要とするものと、脳の必要とするもののギャップを、足並み揃えるように埋めることができるものであること。また、自分の人間らしい心理をより深く知ることや、人の心情もより想像できる、心理学のようなものでもあることを知り始めました。学生の時に心理学をやりたくても、学ぶ場がなくなり残念だったえみすけは、人の心理を深く知れることが、嬉しいのでした。

その後、健康を取り戻した20代後半で、もう一度天職を見つけるという夢を追いかけたい。と、ヨガと姉妹であるインドの伝承医学アーユルヴェーダを学び始めた頃、えみすけ母がダウン。一人で二人の子どもの子育てを終え、約20年間働きずめだったので、あちこちが痛くてたまらず、つい怒鳴り散らしてしまうのです。一生懸命働いてきたのに、こんな体調ではあまりにもやるせない。これが転機となり、インドにとりわけ興味がないまま、アーユルヴェーダのオイルトリートメントを習ったところ、たまたまマッサージを人にすることがとっても好きだということが発覚。「天職はこれだー!」と、これで人生全てバラ色じゃ!と勢いいさんでアーユルヴェーダセラピストになります。そして、とにかく海外に留学に行きたかったこらえ性のないえみすけは、バリ島のスパにマッサージ留学。バリ島を選んだのは、スパが天国かというくらい、最高だったから。そして、日本の治療院より、おしゃれだったから。

帰国後、これまたポッと出の勢いで、自宅にてバリ島のスパをイメージした[バリニーズスパ・メルタサリ]をオープン。

ところが、そんなポッと出で、うまくいくほど、経営はあまくありませんでした。
それでも、好きなマッサージをして、人に喜んでもらえることが嬉しかった33歳。
不思議とぽつり、ぽつりとお客様がやってきて、静かに営んでおりました。

3、4年が経ち、マッサージのお店として、えみすけがマッサージやる気満々なあるとき、
とあるお客様が「ヨガを教えてほしい」と言います。
ヨガはすぐに気持ちよさの得られるマッサージと違って、
自分で体を動かす、長期に渡って筋肉をつけていく忍耐のいる作業。
その長期戦を受け持つことの覚悟もなく、好きなマッサージしかしたくなかったえみすけは、
これをのらりくらりとかわして、マッサージサロンを続けます。

それからまた1年、2年と経ち、
「ヨガを教えて欲しい」という人がひとり、またひとりと表れます。

「困ったな〜、ヨガを教えるって、大変なんだよな〜。」
逃げ腰を続けていたある年、小さな頃からお世話になった伯父と、親友の父が、50、60代と若くして死去。
その二人の闘病中に緩和療法として、マッサージをしたこと、
予防医学という観点でヨガを教えていたヨガ教室で15年学び、レッスンを担当したこと。
そんな経験を経て、健康と病気と死と向き合う中で、身近な人の健康さえ守れないなんて・・・
とえみすけはしばらくサロンをやる意欲を失います。

その後、東京のインド、江戸川区西葛西在住のアーユルヴェーダ医師に、「あなたはヨガを教えるべき」とことあるごとに言われるようになり、その医師のお父さんがインドからやってきて、滞在先に困っていたので、家に招き、しばらく日々をともにします。
えみすけは、そのインド父さんからヨガを教わり、寝食を共にするうち、
そのインドのお父さんが70代でも毎日のヨガでぴんぴん元気で、現役医師として毎日夜中でも診察をしていること、
そして、ヨガがどれだけ、そのお父さんにとって大切かを、聞きます。

そこで、えみすけはやっとヨガの先生として、
「病気になる前の未病の状態の人を、もっと心身ともに健やかに。」することを決意し、
ヨガを教え始めます。
これまで学んだ伝統的ヨガを一度手放し、学び直し、試行錯誤を繰り返しました。
ときどき、自分の不甲斐なさに投げ出したくなったり、
責任の重さを感じて、突如逃げ出したくなったり、
ひとりで落ち込んだり・・・

でも、いつもまわりには、教えて欲しいとそばにいてくれる人がいました。
えみすけは気がつきました。
教えることは、自分が先導していくだけじゃない。
うまくできなくても、伝わらないと感じても、
教わりながら、いろんな方法で伝え続けながら、
成長していけばいいんだ・・・

時々逃げたくなっても、その度にみんなに背中を押されながら、
助けられながらゆっくり成長していけばいい。
その分、みんなのなかなか変わらない時の悔しさもわかるから。

 

マッサージで学んだ解剖学の要素や、マッサージからの縁で知った、
世界の体訓練法、トレーニングを合わせたヨガレッスンは、
マッサージで体をときほぐしてから、
無理なく筋肉をつけていける、気持ち良いもの、と
多くの人の支持を受けました。

そこから、時は経ち、忍耐力のなかったえみすけは、
訪れる人と、長きにわたって、
人の話をよく聞いて、一緒に考え、
その人の「こうなりたい」を応援し、
その人が笑顔になるまで、
じっくりそばで支えることを嬉しく感じるようになりましたとさ。

あいかわらず、単純で、へこたれやすく、人の喜べばすぐに嬉しくなって忘れえて、すぐに立ち直りながら。

〜えみすけの研鑽の日々はつづく〜